「人に何かを残す」という生き方


5月の半ばに、突然、伯母がこの世から居なくなった。
もう、こんなことがあるのかというくらい突然だったそうだ。夜、いつものように自宅の前に出て片付けをしているうちに、ちょっと躓いたのか、転倒して頭を強打してそのまま意識不明。そして3日後に永眠。


事故にあったわけでもなく、病気を抱えていたわけでもなく、誰も、何も予期していない、突然の死。
こんなことがあるんだなぁと親戚一同、葬儀の後もまだ何となく信じられないというくらいにあっけない死。


どう説明したらいいのか、何か不思議な感覚。悲しいという感覚はあるのだけど、悔やまれるというよりも「仕方ないよね」という感覚に近い。本当に運が悪かったんだなぁ、これが運命だったんだなぁ、そんな感じ。
本人もまさかここで死ぬとは思っていなかっただろうし。PCのコンセントに足を引っ掛けて電源を落としてしまったかのごとく、何の前触れもなく日常生活が強制終了するというのはどんな感覚なのだろう。


考えても答えは出ない。だから「一日一日を大事に生きよう」「伯母さんの分まで長生きしよう」という言い方が出てくるのだけど、それってどういうことだろうかと、葬式からの帰りの電車の中で考えていた。
一日一日を大事に生きる、たしかにそれは大事なんだけど、たまには何もしない一日や後ろ向きの一日があってもいいだろうし、伯母さんの分まで長生きと言っても、それを毎日想いながら生きていくことって現実的にはどうなんだろう?


それで、電車を降りる頃に考えたのが、
「人に何かを残していこう」
という生き方。
日記を書き残すとかそういうことではなくて、人を動かしたり影響を与えたりするような「何か」を残すことを意識しながら生きていこう、ということ。
お客さんや仕事仲間や同僚に、友だちや家族に、愛する人に、まだ見知らぬ誰かに。自分が生きた証などと畏れ多いことは言わないけれど、それでも、いつ訪れるかわからない死の間際に少しでも「あぁ、あの人にあんなことをしたなぁ」と回想できるようにしたい。


そうしたら、いつ死んでも、「今まで生きてきて良かった」と思えると思うんだ。